以降サラブレッド生産は北海道が主になり、小岩井を含めた東北地方ではあまり行われなくなった。(多少やっている所はあるにはあるが殆どを北海道の日高地区に持って行かれて小規模である)
今は乳牛や鶏を生産し、それから得る特産物の牛乳、バター、チーズや卵などを売り、成り立っている。
しかし小岩井から産まれたサラブレッドの血統は北海道でまだ生きている。
それが故に比較的新規のオーナーには手が届かない。
これが日本競馬をつまらなくさせている原因でもある。
国内で買えなければ海外競り市に出掛けてマル外を買い取るというのもある。
昔はマル外はクラッシックに出走不可だったが、今はその枠はなくなっている。
故にマルゼンスキーの悲劇はない。
しかし、シルは海外のスタッドで繋養されているニジンスキーと種付けをしたがために持ち込み馬とされ、朝日杯三歳Sを勝つも、クラッシックへの出走権はなかった。
新馬戦から最後まで主戦騎手だった中野渡正一騎手は「賞金も要らない、他の馬の邪魔はしないからこの馬の能力を試させてくれ‼︎」と懇願したが頭の固い日本競馬協会(JRAの前身)はマルゼンスキーの出走を許可しなかった。
ラジオたんぱ賞を最後に脚元不安で8戦負けなしで引退し、種牡馬になったが、自らの無念さを晴らすべく産駒は走り、菊花賞馬ホリスキー、ダービー馬サクラチヨノオー、宝塚記念を勝ったスズカコバン、トウカイテイオーが故障したためとはいえ、イブキマイカグラとの叩き合いを制して菊花賞馬になったレオダーバンなどの活躍馬を輩出した。
など、絶大な底力を産駒に及ぼしている
自らはクラッシック未出走だが産駒やそれに繋がる血統がクラッシック勝ちをしている。
まあ、何れにせよ日本の牧畜は明治から始まったのが殆どであり、それ以前だと八代将軍吉宗の時代に僅かながら牧畜の記録があるくらいである。
さらに奈良時代辺りにも小規模ながらも牧畜の記録はあるが本格的ではない。
まあ、滋賀の近江牛は古代から行われた牧畜の名残りではあるが。
日本人が本格的に牛肉や乳製品が普及したのは戦後ではあるが、その裏には長い歴史があったことを忘れてはならない。