franky202's diary

徒然なことを徒然に書くブログ

ある程度の切なさ

今回の『仮面ライダーゴースト』は天空寺タケル(西銘駿)が切なさで変身して戦う。
しかし、過去にも切なさで変身した仮面ライダーがいなかったわけではない。

平成ではクウガやアギトも切なさが漂っていたし、龍騎、剣もある程度切なさが漂う。

初期の仮面ライダー一号も切なさを感じる。
恩師緑川博士を死なせた本郷猛の切なさがある程度ある。
奇しくも仮面ライダーBLACK南光太郎に切なさを感じる。
ゴルゴムに囚われた親友、秋月信彦を取り返すために戦っていたが、信彦は再び出て来た時は悪に染められたシャドームーンとしてであった。

ある程度の切なさはファクターかも知れない。
昔のアニメの『ミラクル少女リミットちゃん』(1973年)も、航空機事故で重傷を負った主人公が父親に改造されたアンドロイドだったこともあり、その名の通りリミット(限界)があり、限られた時と戦っていたと言える。

同じ女の子アンドロイドでも同時期の『キューティーハニー』には切なさは微塵も感じないが原作がスケベな永井豪だからか。変身も全裸になり変身するというエッチな変身だったし。
原作漫画はハニーの姿のまま全裸になり「イヤ〜ン」とか言ってたし。

鉄腕アトム』もある程度切ない。天馬博士が事故で死んだ息子トビオを模して制作したが、ロボットは所詮ロボットであるために天馬博士がサーカス団のハムエッグに売り飛ばしたし、後に身受けしたお茶の水博士の元にいてもやはり切なさはあった。最終回も切なさ爆発だし。

美少女戦士セーラームーン』(1992年)も、アニメはかなり終盤切ない。セーラームーンを除いた他の仲間がバタバタ死んでいくのだから。
これは当時の子供が泣き出してショック症状を起こして病院に行く子供が増えていたらしいし。かなり切なく衝撃的だ。

変態もといタキシード仮面も正体はエンディミオンだし、かなり切なく辛い。
戦わねばならぬと言うのもあったが。

その血を引くプリキュアには全く切なさを感じないだけに。(年代を下げているので切なさをなるべくカットしているのはある)
敢えて言えば5作目の『フレッシュプリキュア!』(2009年)のラビリンスの幹部イース(cv小松由佳)に切なさは感じる。東せつなだけに。

打倒プリキュアのために桃園ラブキュアピーチに近寄り友達のフリをして機会を窺ったりと身を削ってまでナキワメーケよりパワーアップしたナキサケーベを繰り出して打倒プリキュアを画策したりとかなり切ない。

故にイース時代のファンがかなり多い訳だが。
仲間になってから見なくなった極端な人もいたらしいし。

でも、キュアパッションになってからの東せつなも捨てがたく違う意味で魅力的だし、最後までラビリンスのラスボスのメビウスを気にかけていたし。
まあ、人間は二面性あるからなあ。

切なさの極め付けはやはり、『鉄人タイガーセブン』(1973年)が一番ではないか⁉︎
主人公の滝川剛(南城竜也)が父の滝川博士を追いサハラ砂漠に赴き『ムー原人の謎を解く』のを阻止しようとするが、哀れ剛はムー原人スナウラミにあっさり殺されてしまう。

諦め切れない滝川博士はミイラ蘇生用の人工心臓SPを部下に命じて剛を蘇生させたが、現人類に恨みを持つムー原人に滝川博士率いる滝川探検隊は全員殺害されるし、それを逃れた剛が何故か鉄人タイガーセブンに変身し、難を逃れるが、それ以降も剛=タイガーセブンの切なさは続いた。

日本に帰って来てからは滝川博士の理解者の、高井戸博士(中条静夫)のグループのメンバーの北川史郎(達純一)に恨まれぶん殴られたり、「お前は肝心な時にいない」とか文句を言われたりと全く理解されていない。

変身している時に抜けているから仕方ないのだが、正体を明かす訳にはいかない剛は仕方なかったとはいえ。

敢えてウルトラマン仮面ライダーが描きたがらない所を描いていてリアルではあったが時代がそれに追いついていなかった。
内容も全体的に報われない話ばかりだったし、最終回が更に切ない。
人工心臓SPの寿命があと僅かで剛がヤケクソになり戦いを放棄した途端高井戸博士がムー原人に殺害され、結局は変身して戦い、剛はその時にみんなに正体を明かして何處ともなく去ると言う報われない戦いだった。

これ、凄く切ない。度を越したらこう言うことになると言う事だ。
当然視聴率も悪く26話完結もやむなしである。

テコ入れも何もしなかった制作スタッフもある程度凄くはあるが、テコ入れの金すらも当時のPプロにはなかったと言っても良いだろう。

同時期に制作された『光の戦士ダイヤモンド・アイ』も26話完結で何のテコ入れもしてはいないが、作者の川内康範氏がはじめから26話完結予定で、自分の作りたいものを優先したためである。

あの作品は切なさは全くなかったが、主人公の雷甲太郎(大浜詩郎)が、社会悪を暴くためにフリーライターになってでも前世魔人に戦いを挑みその義侠心を買われてダイヤの精のダイヤモンド・アイ(cv池水道洋)にアイリングを渡され、「何かがあったらリングに向かって叫べ、いつでも余は現れる」と言う変身しないヒーローで、召喚されて出て来ると言うのはファイナルファンタジー召喚獣とかの先を行く斬新な設定である。

人間の姿をして悪事を働く前世魔人がアイの、『外道照身!霊波光線‼︎』で正体を暴かれた前世魔人の「ばぁれぇたぁかぁ〜‼︎」と敵が変身するというこれまた斬新な設定が盛り込まれていた。

しかし、前世魔人は人間の姿の時はニヒルだったり、クールだったりしたキャラが前世魔人になった途端に「寝言は寝て言え‼︎」とか「うるさい!家に帰って寝ろ‼︎」とかブチ切れた性格になる者もいてかなりギャップを感じた。

切なさは源海龍=キングコブラの娘源蘭花=ヒメコブラが雷甲を愛してしまい、愛と悪の境で苦しむ所だろうか⁉︎まあ、最終回でそれは決着するのだが、ある程度切なさ要素が特撮やアニメにないとダメと言う訳か。

タイガーセブンのようにやりすぎるとトラウマレベルになってしまうが。