『努力や根性は大嫌い、必要なのは創意工夫』という考えには賛同しない。
なぜならば努力出来ない者に創意工夫などは出来ないからである。
やって見て失敗か成功かはわかりはしない。最初から失敗を恐れて何もせず『他の方法がある』など考えるのは都合のいい言い訳にしか過ぎない。
失敗して初めて努力の意義を知りそこからは、どうすればいいかを考えるのが創意工夫、初めからやりもしないで創意工夫など出来はしないし出来るわけない。
例えるならユーチューバーになりたいとなんの努力すらせずヒカキンみたいに儲かると言う甘い考えをしているのと同じ。
ユーチューバーは今は沢山いるが、みんなそれかしかの苦労はしている。
ダメだしなんてかなり喰らっている、出さないだけでかなりのダメだしはあるに違いない。
それをまああれくらいは儲かるだろ⁉︎と甘い考えをして稼ごうとしたって無理である。
それを批判するニコ動の連中も醜い、成功者に対しての僻み丸出しである。
まあ、ニコ動は一部を除き民度が低く、コメント欄は書きたい放題で、ネタには使えても大した役には立たない。
まあ、ユーチューバーも無理な依頼とかされたりしてみんな大変である。
そんなリスクを冒してまでもYouTubeでヒートボクサーとして生計を立てるのは生半可なことではない。
例えるなら本宮ひろ志が漫画家になる際には全てを潰すつもりの覚悟がいると書いたがユーチューバーも同じである。
一生を潰すつもりでやってナンボの世界、だからモバイル世代のユーチューバーはかなり大変である。
みんながみんなヒカキンやはじめしゃちょーのような成功者組にはならない。
彼らの足元にはユーチューバーとして活躍出来なかった組みがかなりいる。先輩には上から上がいるのだ。
寧ろ失敗者の一番上にかなり失敗者がかいるから。
だからユーチューバーで売れるのは勿論本人の曲や演技力もかなり絡んでいる。
だから初期のヒカキンははかなり無理なことをしている。
のちに兄もセイキンとして弟とは違う味を出している。弟が売れたから兄も売れたパターンである。
どの道も険しい、楽なものなど怪奇である。
ってか、ない。