franky202's diary

徒然なことを徒然に書くブログ

近鉄バファローズ消滅の真相

今から19年前にプロ野球チーム合併が起き、オリックスブルーウェーヴと大阪近鉄バファローズが合併した。

 

この話はかなり前から進められていたらしく、あのライブドアの旧社長堀江貴文(1972-)が買収する

と言う動きを見せたがすでに手遅れであった。

 

まあ、近鉄本社側は球団がパルケを取るかを銀行から迫られており、リスクが少ないパルケを取らざるを得なかった。

 

まあ、球団側は皮肉にも本拠地の大阪ドーム(現京セラドーム大阪)の貸賃がバカにならなかったことや、生え抜きの中村紀洋(1973-)の高年俸などや、

元々本社側が球団経営にあまり乗り気ではなかったと言う事情もある。

 

まあ、創設は1949年だから今や地域密着人気球団広島東洋カープと同じ年に誕生している。

 

カープが貧乏ながらも最下位が続こうと市民や選手たちが支え合い火が消えないように頑張り四半世紀で念願の優勝を勝ち得てその四年後日本一の頂までに登り詰め、以降愛される球団作りを目指し、21世紀の今でも球場が広島市民球場からマツダzoom zoomスタジアムに移転しても熱は益々それ以上になっているのはやはり広島の市民にカープが生活の一部になっていると言うことであろう。

 

他球団が乗り込むと途轍もないアウェイ感を感じる、観客の360度近くがカープファンで埋め尽くされ、圧が凄いからである。

 

まあ、カープの話は置いておく、まあお金はないが情熱や選手育成は段違いに上手いので潰れることは余程でない限りない。

 

近鉄も誕生当時は最下位が定位置だった、最初の球団名がパールスだものなぁ、志摩で養殖真珠が盛んとは言え弱そうな名前である。

 

如何に本社が意欲がないかが解る、その後元読売巨人の千葉茂(1919-2002)を監督に招聘し、千葉の渾名の猛牛からバファローに球団名が変わりやがてバファローズとなる。

 

その後監督が様々変われど最下位の沼から抜け出せずにはいたが、土井正博などや永渕洋三などの名選手を輩出した辺りは指導者が苦労して育てて使ったのもある。投手では鈴木啓示か。

 

そんな球団を0から変えた西本幸雄氏(1920-2011)を監督に迎えてからは徐々に力をつけてやがては昭和54年(1979年)に創設30年で優勝する。

 

シリーズでは健闘はしたが広島東洋カープに僅差で敗れている。

翌年も優勝したが日本一はまたもカープに阻まれる。

 

しかし選手は着実に育っており、その面で言えば現場は優秀だったのである。

 

次の優勝は平成元年(1989年)である。相手は読売巨人。三戦目までは順調に勝ち進んだものの、投手の加藤哲郎(1964-)の要らぬ一言が(詳しくは書かない)読売巨人の選手達の負けじ魂に火をつけてその後四連敗で日本一を逃す。

 

そして次の優勝は平成13年(2001年)である、本拠地が藤井寺球場日生球場から大阪ドームに移転して初めて優勝した。

 

優勝を決めた北川博敏(1972-)の代打逆転サヨナラ満塁ホームランと言う漫画みたいな結末で優勝を決めている、相手がオリックスブルーウェーヴなのも何かの運命が皮肉か?

 

シリーズはヤクルトとの対決になったがまたもや

日本一を逃す。

 

まあ、そこまで手が届くところまで来てもスルリと抜ける日本一。

 

そんなこともあるが一度火がついたら止まらない『いてまえ打線』が名物であった。

 

メジャーリーガーも多数出ており、野茂英雄吉井理人中村紀洋(マイナーのみ)、大塚晶文などをメジャーに輩出した辺りその選手の優秀さが分かる。

 

人気もかなりあったのだが、球団経営は苦しかったらしく、優勝旅行は選手のみ費用はなしだが家族は自費捻出とか、ギリギリな話が伝わっている

後本社側から「金がかかるから優勝争いはしても優勝してくれるな」とか言われていたようである

なんとも世知辛い話である。

 

優勝する実力がありながらするなとは殺生過ぎるやはり本社は球団をお荷物だと思っていたらしいこれは仕方ない。

 

だからオリックス側の合併話がスムーズに進んだのは、最後まで反対していた上山オーナーの死去がきっかけで『待ってました』とばかりにその話に乗ったのが原因である。

 

まあ、オリックスの元オーナーの宮内義彦(1935-)も上手くやったものだが、裏では読売巨人の元オーナーの渡邉恒雄(1926-)が糸を引いていたとも言うが、もう一人の阪神タイガースのドケチオーナーだった久万俊二郎(1921-2011)も絡んでいたのではないかと思う。

 

まあ、推測の域は出ないが他にも多数の人間の事情が絡んでいたと思う。

 

まあ、そんなこともあり近鉄バファローズは55年の歴史に幕を下ろすことになる。

 

そうなると球団が足りなくなると早めに動いた堀江貴文は仙台に球団をつくると提唱し、(結果は三木谷博史の楽天に負けるが)まあ、身を取り名を譲ったと言うことになる。

 

あと渡邉恒雄プロ野球選手会と揉めて当時の選手会の会長ヤクルト古田敦也(1965-)に対して、「たかが選手が!」と言う暴言はストライキまでに発展した。

 

まだ生きてるんだから生命力がゴキブリ並みだなナベツネは…。

 

近鉄バファローズが消えてその名前がオリックスが名乗っているのもなにかの皮肉か?

 

京セラドームを使うのはまあ良い、しかし元本拠地のほっともっとフィールド(旧GS神戸)を他球団に貸さないと言うのはなにかケチ臭いと言うか、殆ど試合しないのに貸さないと言うのは矛盾だと思う。

 

まあ、そんなこともありオレ自身はオリックスバファローズはあまり好きではない。(嫌いでもないが中日と近鉄電車トレードする辺りのセコさとか件の球場貸さない話とか)

 

若い人や裏切り者は騙せても真実を知るものにとっては『騙しで商売している』感が拭えないからである。