燃える男よ永遠に

去る1月4日に元中日、阪神楽天で監督を務めた現東北楽天ゴールデンイーグルス副会長の星野仙一氏が亡くなった、享年70歳

 

昨年より体調がすぐれず、膵臓ガンとの闘病中で、2日に食事中容体が悪化し2日後逝去した

日本プロ野球はまた巨大な星を失った

 

打倒巨人を掲げて闘志を燃やした中日ドラゴンズの現役投手時代、通算146勝を挙げて82年に現役引退、四年の充電期間を得て中日監督に就任

 

いきなり体質改善に乗り出し1対3の大型トレードでロッテから落合博満を獲得し主軸に据える

翌年に優勝、その後91年で一旦は監督を退き96年から又復帰、翌年ナゴヤドームに移転したためにそれまでの戦い方から変更をしなければいけなかったが間に合わず最下位に転落

 

翌年は阪神とのトレードで関川浩一久慈照嘉韓国プロ野球から李鍾範を獲得、(阪神には大豊泰昭矢野輝弘を放出)守りの野球にシフトチェンジし二位に押し上げ、翌年99年に優勝

 

その後も守りの野球を徹底し、01年に去りライバルチームの阪神タイガースの監督に迎えられる

 

ここでも意識改革を選手に促し一年目は四位も翌年18年間も優勝から遠ざかっていた阪神を優勝に導く、しかし心労や体調は並大抵ではなく後進を岡田彰布に譲り球団のSDに就任、意欲的に動くも現場への未練が断ち難く、10年に退団後東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任

 

就任一年目から東北東日本大震災に遭うも、チームを鼓舞し、三年目の13年に優勝、そして、巨人との日本シリーズで中日でも阪神でもなし得なかった日本一に輝く

 

14年からは楽天のSA、後に副会長に就任し、亡くなるまでその職にあった

 

昨年に球界殿堂入りを果たし、まだまだこれからの活躍を期待されていた

 

しかし星野仙一氏は中日監督時代からあちこちの持病との闘いであり、阪神監督時代はあまりにも血圧が上がり過ぎてヤバくなったこともある

 

楽天監督を退いたのもあちこちに疾患を抱えていたからである

 

その後も疾患との闘いが続く中膵臓ガンにも疾患してしまったのだろう、まさに全速力で闘志をむき出しにし、「困ったら前に出ろ!」と言う言葉通りの生き様だった

 

非情な反面温かさを持ち合わせていた故に在籍した中日や、阪神楽天の選手に慕われ、ライバルチームである巨人監督だった原辰徳にも『恩人です』と言わしめたくらいの唯一の人であった

 

現役時代はさしてスピードはなかったものの攻めの投球を見せて活躍、監督になれば厳しさを前面に出す反面、気配りも忘れなかった

 

まさに闘志そのもので生きた現役時代と監督時代であった

 

葬儀は近しい人だけでやるというので密やかに行い敢えてお別れ会をやるのだろう

 

人望が厚かっただけに様々な人がその逝去を悲しんだ

 

しかし、悲しんでばかりはいられない、前に出なければならない

 

生前星野仙一氏が教えてくれた「困った時には前に出ろ!」と言う遺訓を胸に抱き、前に進まなければならない

 

最後にこう言い残したい「夢をありがとう、今は安らかに眠って下さい!」

 

さよならは言わない、いつだって野球がある限り星野仙一さんは心に生き続けるからである